映画『カラフル』見てきた

rick082010-08-29

「人生やり直せるとしたら、どっからやり直したい?」というのは、誰もが自分の恋人なんかと交わす質問だと思う。答えとその理由によって、相手のことがよくわかって嬉しく思ったり残念に思ったりするものだ。

僕はたいてい一個前の経歴を言ってたと思う。高校の頃なら「中学」、大学の頃なら「高校」といった具合に。ただ、最近はと言うと、「やっぱり中学かなあ」と答える気がする。中学生の頃のあの全能感というのは楽しい。

でも、自分がその質問を誰かにして、相手が過去のどこかの時点を答えると、寂しい。やり直した選択によって相手が今と全然違う人生を歩むことになったら、自分はその人と出会えないかもしれないと思うからだ。

そして、残念だ。今の人生を精いっぱい生きて頑張ってる人間は「戻る必要はない。今が一番だ」と答えるはずだから。やり直したいと思ってるなら、いまからやり直せばいいよね。やり直すのに遅すぎるなんてことはない。そう信じたい。

この映画の主人公は、運よく「やり直し」をすることが許された。しかし、以前の記憶が全くない。「彼の魂が抜けたところに、代わりに君が入る」と言われ、中学生になってしまう。家族や学校の友人の前にでても、その彼がどういう「キャラ」だったのかさっぱりわからないので戸惑ってしまう。このあたり、妙にリアルだ。

気になる女の子ができて、友達ができて、人を傷つけて、傷つけられて、「やり直す」ことの意味を知らされていく主人公。人物の描き方や時間配分、ストーリーの進め方のバランスがとれていて、見ていて安心する。

ところどころ実写が混じっているののもいい。実写とアニメのアンバランスがあるからこそ、「ああ、やり直すのは俺のほうだな」とかいろいろ考える時間ができる。そういう意味も含めて、バランスが取れたいい作品だ。

ただ、一点バランスが取れてないところがあるとすると「プラプラ」の声だ。リアルな12歳・大阪育ちの子役を使っているのだが、他の声に比べてあまりにヘタクソで違和感がぬぐえない。石田彰さんあたりを使ったら神がかった感じになると思うんだが、このヘキサゴンファミリーの子供を使うことにどれだけ意味があったんだろう。なんらかの「バランス」がそうさせたのだろうか。

実際の人生には「やり直すのには遅すぎる」ノーリターンなポイントというのが存在する。年齢的には35歳だろうな、やっぱり。「やり直し」がテーマのこの映画、35歳以前の人は自分のこととして、それ以降の人は、自分の家族や応援したい人の話として受け止めてほしい。なにかをやり直すのに、遅すぎるなんてことはない。自由になって、そして前を向こう。ありきたりでシンプルなメッセージだけど、力強く伝わると思う。

さて、僕だ。気が付いたら、ノーリターンポイントを過ぎてもうすぐ2年になろうとする。いまさら「中学生」に戻ることもできない。さて、これからの人生、どうやってやり戻そうか。